最初に、俄かには信じられない話から始めなければならない。
「四天王寺に聖徳太子直筆の預言の書がある」
そう四天王寺関係者の某氏が我々に示唆したのは、聖徳太子摂政と四天王寺建立の一四〇〇年祭を二年後に控えた一九九一年の春のことであった。
「四天王寺は、今まで何度も焼かれ地震で倒壊し空襲にも遭いました。お太子様の時代のものは何も残ってませんけど、お太子様の書かれた『未来記』は実は今も残っていて、四天王寺の中でも秘儀中の秘儀として隠されています。四天王寺の内部の者でも、このことは知らされていません。ある役職に就いた者のみがそのことを知り、次世代に引き継ぎます。この中には、日本の国が滅ぶことが書かれていますが、当然、それを救う手立ても書かれてあります。再来年は四天王寺建立一四〇〇年。そして二十世紀も終わろうとしています。いつまでもこれを秘儀にしても意味がないと私は思います。お太子様もそれを望んではおられないでしょう。ですから私は、この『未来記』を二十一世紀を迎える前に、公開したいと思っております」
そう某氏は言うと、その『未来記』の章立て、だいたいの内容などを我々に教えてくれた。それが――、善と思われていた者が実は悪であり、悪と思われているものこそが実は善である、ということがテーマとして記されている、という。
私は、聖徳太子の予言書? そんなものがあるわけが無い、と高を括って来ていただけに、本当に四天王寺関係者からそんな話をされて、若い私はただただ、ぽかんと某氏の話を聞くしかなかったのだが、確か、こんな質問をした覚えがある。
「聖徳太子って、歴史学において実在そのものが怪しいと言われています。そこに、直筆の、しかも『未来記』……? そんなものがあったら国宝のはずですよ」と。
「預言は公にしてはならないものなのです。『未来記』は一読しただけでは全く解読できません。それだけに公にすると都合のよい解釈がなされ、利用され、混乱を招き、真の意味での救済は望めなくなりましょう。ですからその時が来るまで、決して誰にも漏らさない、言えない。『未来記』はそうやって一四〇〇年の間沈黙してきたのです。いや、ただ一度だけ、楠木正成が『未来記』を読んだことがあります。『太平記』にそのことが記載されていますが、あれは本当のことなのです。正成は鎌倉幕府の後醍醐天皇の新政がここに予言されていたとして、後に正成直筆の礼状とお礼の品々が四天王寺に送られ、その礼状は管内に保管されております」
「お太子様の預言は、まさに今の日本のことを指し示しています。だからもう、公開するべき時が来ていると思うのです」
その後、某氏はその役職から退かれ、『未来記』についての情報はフツリと途切れてしまった。
やがて某氏は亡くなられた。
聖徳太子直筆の『未来記』は未だ世に出ずにいる。
やはり『未来記』などは存在しないのであろうか。
私はこの時から約七年かけてフィールドワークで調査したことを、小説の体として書き、『捜聖記』(角川書店)という一冊の本を出版した。
小説にしたのは原因があった。
『未来記』について、あるいは聖徳太子について話を聞かせていただいた神社関係者、仏教関係者、歴史学者、郷土史研究家の方々が「これはここだけの話として」と言う条件で証言された、あるいは重要文書のコピーを渡されたものであったからだ。本には書かないでくれ、とも言われた。
だからフィクションにすれば書いても許されるだろう。そういう考えがあったからだ。
ところが数年前、私はこの『未来記』について新しい情報を耳にした。
「古代の日本の皇子が書き記した預言の書のコピーが、千年以上も昔のシルクロードを渡り、長らくスペインのあるユダヤ教のシナコークに納められていた。この書を見たのが、アダム・ヴァイスハウプト(一七四八〜一八三〇)というバイエルンのインゴルシュタット大学の実践哲学の教授で、イルミナティ創設の参考にしたようだ」
この話を私に聞かせてくれたのは、日本とユダヤの問題を研究しているユダヤ系の人物である。
しかし、なんだろう、この話は?
日本の皇子――? これは……聖徳太子のことではないか。
預言の書? 『未来記』のことではないか。
それがスペインに?
そして、イルミナティ……。
再び私は聖徳太子の『未来記』の存在について考えることにした。結局『未来記』の存在は開封されないことには認められないであろうが、だからと言って、それをオカルトだの一言で、無視しておくことが私にはできなくなったのだ。
だから私はまず、聖徳太子とは何者かという、歴史学者や研究冢、作家や好事家などの間で百花繚乱なテーマに挑もうと思う。太子が何者かを解くことから、彼がはたして預言者たりえるのかを考えることが初めて出来ることになるからだ。
聖徳太子の時代をリアルに写し取った文献は存在しない――、よって太子没後百年経って編纂された『古事記』『日本書紀』に書かれることを慎重に扱わねばならないし、考古学は出土するまでは無いものと考えるしかない。
だが歴史は人間の営みであり、その営みは千年、二千年と経っても何らかの痕跡、伝承、あるいは地名として残るものである。古社と呼ばれる神社が最もそれを雄弁に語ってくれる。
『未来記』を書き、様々な謎と信仰を残した聖徳太子とは一体何者か?
その『未来記』が秘匿されているという四天王寺を見ることから、その捜索を始めたいと思う。